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福岡高等裁判所 昭和55年(く)20号 決定 1980年7月21日

少年 K・I(昭三九・一一・六生)

主文

原決定を取り消す。

本件を福岡家庭裁判所久留米支部に差し戻す。

理由

本件抗告の趣旨は、抗告人作成の抗告申立書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は要するに、少年に対する原決定の処分は著しく不当であるというのである。

そこで記録を調査し、抗告申立書添付のA作成の上申書、当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、本件は少年が中学校三年在学中、同校生徒一一名と共謀のうえ、同校三年生Bほか一名に対し手挙や木刀でこもごも殴打したり足蹴りするなどの暴行を加え、もつて数人共同して暴行したという事案であるが、少年は中学一年春ころから不良化し、窃盗、占有離脱物横領を犯し昭和五四年六月二六日福岡家庭裁判所久留米支部で審判不開始となつたが、一月もたたないうちに再び窃盗、ついで暴力行為等処罰に関する法律違反を犯し、右事件で調査官の調査中に本件に至つたもので、前記事件につき昭和五五年三月一八日同裁判所で不処分決定を受け更生を誓いながら、その素行が改まらず、他方少年の保護者にも少年を監護教育していく十分な姿勢がなかつたことが認められるので、少年を初等少年院に送致することとした原決定も首肯し得ないわけではない。しかしながら、少年は本件当時未だ一五歳であり、本件後一月足らずで中学校を卒業しその後は不良仲間との交際も仲間の進学、就職等で次第に疎遠となつていること、昭和五五年五月一一日から久留米市内の有限会社○○鍍金工場に就職し、同会社社長の熱心な指導の下に一人前の技術者として更生しようとする意欲が次第に出てきており、本件で観護指置がとられるまで無欠勤であつたこと、約一ヶ月間の少年院の生活を経て自助の精神も生れつつあること、保護者も右観護措置後は従前の監護の不充分を反省し、右鍍金工場の社長と協力して少年を指導監督することに熱意を示しており、ことに右社長の少年に対する愛情と熱意にはくむべきものがあること等を考慮すると、少年をただちに初等少年院に収容して矯正教育を加えるよりは、今暫らく右工場で働かせ、同会社社長及び両親の指導監督を期待して在宅保護を試みるのが相当であつて、現時点においては原決定の処分は著しく不当であるといわざるを得ない。

よつて、本件抗告は理由があるので、少年法三三条第二項により原決定を取り消し、本件を福岡家庭裁判所久留米支部に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 安仁屋賢精 裁判官 徳松巖 桑原昭熙)

〔編注〕本件は、受差戻審(福岡家久留米支昭五五(少)八八五号)において、別件窃盗保護事件(昭五五(少)八一九号)と併合審理され、試験観察を行つた上で、昭和五五年一一月四日保護観察決定により終局した。

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